「マスク時代、こんな“顔の記憶違い”ありませんでしたか?」
思い込み・勘違い・ちょっと恥ずかしいけど、どれも“あるある”な体験ばかりです。
「誰?」が止まらない、マスク越しの再会
ある日、スーパーでバッタリ声をかけられました。
「〇〇さんですよね?いつもお世話になってます!」と、
とてもにこやかに、親しげな笑顔で。
…でも、こっちは完全にフリーズ。
「え?誰?」
「どこで会った人!?」
「名前も、場面も出てこない…!」
私の脳は一瞬でパニック状態。
けれど、向こうは明らかに“私のことを知っている人”っぽい。
感じの悪い人じゃないし、対応しないわけにはいかない。
マスクをしているから、顔の半分は見えない。
でも目元に見覚えがある気がするし、声もなんとなく覚えてる。
だから私は心の中でこう思いました。
「あっ…たぶん、あの人だ!!」
──そう、私は“あの人”だと確信して、堂々と会話に入り込んだのです。
根拠は目と声だけ。“あの人”だと思い込んで…
相手のマスク越しの目元を見ながら、
私は一生懸命“脳内サーチ”をかけていました。
「あの部署の〇〇さん?」
「いや、もしかしてあのPTAの人?」
「でもこの感じ…やっぱり○○さんでしょ!」
目元の雰囲気と、声のトーン。
それだけを手がかりに、**「たぶん、この人に違いない!」**という結論にたどり着きました。
でも、冷静に考えれば――
“目と声”だけで人を断定するのって、けっこう危うい。
そのときの私は、もう**完全に“わかったふり”**のモードに突入していたんですよね。
「あの件、ありがとうございました」
「いや〜、ほんと助かってます〜」なんて、
わりと深めな会話をし始めてしまっていました。
それでも、相手はうなずいているし、話も合っている気がする。
「よし、やっぱり〇〇さんで合ってたわ!」
…と、自信すら出てきた瞬間――
次の展開が待っていたのです。
マスクを外した瞬間、全てが崩れる
そのとき、相手がふとマスクを外したんです。
何の気なしに──
喉が渇いたのか、ちょっと息苦しかったのか──
とにかく、マスクを下げた、その瞬間。
私は……
頭の中が一瞬フリーズしました。
「……えっ、誰?」
ほんの数秒前まで、
「間違いない!」と確信していた自分が恥ずかしくなるほど、
全くの別人だったんです。
あれ?え?
声も似てるし、目元もそっくりなのに?
ていうか、今までの会話、通じてたよね!?
パニックは一気に加速します。
「えっ…す、すみません、人違い…かも…」
「あっ、いえいえ、私もどこかで会った気がしてました(笑)」
と、優しく笑ってくれた相手の人。
その笑顔に、二重の意味で救われたような──
でもやっぱり穴があったら入りたいような──
“マスク時代の認識ミス”あるあるを、
まさか自分がやってしまうとは思ってもみなかったのでした。
じつは、相手も「誰だっけ?」状態だった
後日、偶然またその人と顔を合わせる機会がありました。
私はもう気まずさ全開だったので、
そそくさと挨拶だけして通り過ぎようとしたのですが──
その人が、ニコッと笑って話しかけてきたんです。
「あのとき、実は私も“誰だっけこの人…”って思ってました(笑)」
なんと……
私だけじゃなかった!!!
つまり、お互いに──
「この人、たぶん知ってる。でも誰だっけ?」
という状態のまま、謎のやり取りをしていたというわけです。
あの絶妙な沈黙や、微妙な空気感。
今思えば、すべて納得がいきました。
そしてお互いに笑って話せたことで、
ようやくモヤモヤしていた気持ちも、ふっと軽くなった気がしたんです。
「マスク社会だからこそ、こういうこともあるよね〜」と笑い合いながら、
人違いだったはずの相手と、なんだか少し打ち解けられた。
マスク越しの勘違いは、ちょっとしたきっかけにもなるのかもしれません。
「顔がわからない」って、こんなに不安なんだ
あの出来事があってから、私はふと思うようになりました。
「顔がわからない」って、こんなにも不安になるんだな…と。
人って、表情から安心感をもらっていたんだなって気づいたんです。
ちょっとした笑顔とか、
優しいまなざしとか、
口元がゆるむ感じとか──
そういうものが見えないだけで、
「この人、怖い人かな?」
**「怒ってるのかな?」**って、勝手に不安になってしまう。
しかも、相手も同じように思ってるかもしれないんですよね。
「あの人、なんか素っ気ないな…」
でも実は、マスクの下ではニコッとしてたかもしれないのに。
マスクで顔が半分以上隠れてしまう世界では、
「表情で伝える」っていう当たり前が通じなくなる。
それが、こんなにも不安を生んだり、
ぎこちない関係をつくってしまったりするなんて──
今まで意識してこなかっただけに、じんわりと考えさせられました。
それでも、「なんとなく」で声をかけた理由
正直、確信なんてなかったんです。
あの人がさっきの人だ、なんて。
でも、あの場で一歩を踏み出せなかったことが、
ずっと心にひっかかっていて──
「これで違ったらどうしよう」
「やっぱり声、かけるべきじゃないかな」
そんな思いが頭をよぎりながらも、
私は**「なんとなく」**立ち止まって、声をかけていました。
根拠のない「なんとなく」だったけど、
ほんの少しの勇気で、その後の空気がふっと変わった気がします。
「やっぱり、さっきの方でしたか?」
「あっ、やっぱり…!気づいてくれたんですね!」
お互いにマスク越しの笑顔。
見えてないのに、ちゃんと伝わる「ほっとした感じ」。
きっと、人の感覚って、顔の半分が隠れていても働くんだなと思いました。
それに、「なんとなく」で動いてよかったって、
あの瞬間、心から思えたんです。
マスクで隠れても、消えない“人の感覚”
マスクをしていると、
表情が読みづらくなる。
それは間違いないと思う。
でも、それだけで「人の気配」が消えるわけじゃないって、
今回の出来事であらためて感じました。
例えば、目線の動き。
ちょっとした立ち止まり方。
遠くからでも「この人かな?」って思うあの勘。
声のトーンや、間の取り方──
そういう、マスク越しでも“残っている感覚”があるんです。
そして、それを信じて動けるかどうかで、
その後の空気って変わるんだなって思いました。
「勘違いだったらどうしよう」
そう思って引き下がるのも選択だけど、
「ちょっとでも可能性があるなら」って、声をかけるのもまた人間らしさ。
マスクは表情の半分を隠すけれど、
感覚までは隠しきれない。
むしろ、そういうときほど“感覚”が研ぎ澄まされるのかもしれないなぁと思いました。
「違ってたらどうしよう」の先にあるもの
「違ったらどうしよう」
「声かけて、変に思われたらどうしよう」
マスクで顔が見えにくいぶん、
そういう不安って、いつもよりちょっと大きくなる。
でもね、
あの時、勇気を出してくれた彼女の言葉が、私を一気に安心させてくれたんだ。
「〇〇さんですよね?」って、
小さな声で話しかけてくれたとき、
こっちは内心「うわ〜〜っ😭」ってなってた。
「気づいてくれた!」
「ちゃんと探してくれてたんだ」って。
声かけた方も、きっと不安だったはず。
でも、その一歩が、すべての空気を和らげた。
人と人って、
ほんの少しの“思い切り”で
こんなにも、ぐっと近づけるんだなって感じました。
間違ってもいいから、踏み出してみる勇気。
それが、「偶然の出会い」を「確かなつながり」に変える力になるんだと思う。
ひさしぶりの再会と、心のあたたかさ
久しぶりに顔を合わせたその人は、マスクを外した私を見て、ちょっと驚いたように目を丸くした。そして、次の瞬間には、ふわっと微笑んでこう言った。
「なんか、変わってないね。元気そうでよかった。」
それだけの言葉だったのに、胸の奥がじんわりあたたかくなって、私の心に溜まっていたモヤモヤが、すーっと溶けていくのを感じた。
マスクをしていた時間の中で、私は「人にどう見られるか」ばかり気にしていたのかもしれない。でも、目の前のこの人は、そんなことよりも「会えたこと」や「元気でいること」に目を向けてくれた。
思えば、マスクの有無なんて、ほんの一部にすぎない。
私のことをわかってくれる人は、ちゃんと私を見てくれている。
そんな当たり前のことを、すっかり忘れていたのかもしれない。
ふと、自分の顔に浮かんだ笑顔が、前より少し自然だったような気がした。
マスクを外すことが「怖い」と感じた私へ
マスクを外すのが「怖い」──。
そんなふうに思うなんて、数年前の私には想像できなかった。けれど今では、その気持ちが痛いほどよくわかる。
マスクには、外の世界との間に“ひとつの壁”を作ってくれる安心感があった。無意識のうちに、自分の表情を隠せることが、心のバリアになっていたんだと思う。
だからこそ、いざそのマスクを外そうとすると、まるで裸になるような不安がよぎった。
「本当にこれで大丈夫?」
「変なふうに思われないかな?」
そんな声が、頭の中で何度も響いた。
でも──。
怖がっていたのは、「自分の顔」ではなく、「他人の目に映る自分」に怯えていたんだと、気づいた。
私たちは、完璧じゃなくてもいい。
笑顔がうまく作れなくたって、表情がこわばっていたって、それが今の自分なら、それでいいんだ。
マスクを外すことは、自分をさらけ出すこと。
でもそれは、弱さじゃない。勇気だ。
少しずつでいい。
自分のペースで、自分の表情を取り戻していけばいい。
誰かに合わせる必要なんて、どこにもないんだよ。
💭 実はこんな“うっかり勘違い”も…?
▶ 「あっ、私じゃなかったの?」──返事しちゃって赤っ恥!
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