あの日、ふと走った私の“勘違い”
あの日の私は、自分の体力に何の疑いも持っていなかった。
駅のホームまであと少し、電車の発車時刻が近づくなか、自然と体が前へ前へと動いた。そう、小走り──いや、気持ち的には軽やかに“駆け出した”つもりだった。
ところが…数歩進んだ瞬間に違和感が襲ってきた。
「えっ、こんなに足、重かったっけ?」
「息が、上がるの早すぎない?」
「つまずいた…いや、転びそうだった…!」
心の中の私はまだ“走れる人”。
だけど、現実の私は思った以上に鈍くなっていた。
自分の感覚とのズレに驚いたその日、ちょっとした“現実”を見せつけられた気がしたんだ。
若い頃とのギャップ──「まだイケる」と思ってたのに
若い頃、走ることなんて日常の一部だった。
電車に乗り遅れそうなときは全力ダッシュ。ちょっとした坂道なんて、駆け上がっていた。あのころは、筋肉痛もすぐ治ったし、息が上がっても数秒で回復できた。
でも今は違う。
「まだまだ若い」と思っていた自分が、数メートル走っただけでゼェゼェ言ってる。
その姿に自分でもびっくりして、ちょっと笑えて、でもちょっとショックだったりして──。
年齢はただの数字、なんて言うけど、体は正直なんだよね。
体力の衰えは“ある日突然”じゃない
体力が急に落ちることは、ほとんどない。
実は、少しずつ少しずつ、日々の生活の中で静かに低下していくもの。だけど、普段あまり運動をしていないと、その変化には気づきにくい。
そしてある日、走ったときや階段を上ったときに、ふと気づく。
「あれ、こんなにキツかったっけ?」
「あれ、ちょっと膝が痛い…?」
それは突然じゃなくて、ずっと前から始まっていた“体のサイン”なのかもしれない。
体力低下を“見て見ぬふり”していませんか?
「年齢のせいだから仕方ないよね…」
「運動嫌いだし、まぁいいか」
「まだ大丈夫、大ごとにしなきゃいいでしょ」
──そんな風に、自分の体の変化を見て見ぬふりしていないかな?
実はそれ、すっごくよくあることなんだよね。
だって、認めたくない気持ち、わかるもん。
できてたことができなくなるって、ちょっと切ないし、なんとなく恥ずかしいような気持ちにもなる。
でもね、そこで無視し続けると、ある日突然「本当に動けない体」になっちゃうかもしれない。
ちょっとだけでも“意識”しておくことが、将来の自分を助ける第一歩なんだよ💡
運動って、なにもキツイ筋トレじゃなくていい
「体力づくり」とか「健康維持」って聞くと、ついジムとか、ハードな筋トレを想像しがち。
でも、そんなに気合いを入れなくても、体を動かす方法ってたくさんあるんだよ。
たとえば──
- 毎日10分だけでも、散歩をする
- エレベーターじゃなくて階段を選ぶ
- 家の中でラジオ体操やストレッチをしてみる
- 通勤や買い物のときに「少し早歩き」をしてみる
こういう“小さな行動”の積み重ねが、数ヶ月後の自分を変えてくれるんだよ✨
気がついたら、前よりちょっと足取りが軽くなってたりしてね。
走れなくなった自分を笑って受け入れる
あの日、私は思いっきり“走れなかった”自分にショックを受けた。
でも、そのあと少し笑えてきたんだ。
「なんか、漫画みたいな展開だったな〜」って。
そんな風に、自分の“老い”や“衰え”も、ちょっとだけユーモアで包めたら──
なんか人生って、もっと愛しく感じられるよね😊
年齢を重ねるって、悪いことばかりじゃない。
経験や感性は豊かになってるし、焦らずゆっくり、自分を労わりながら生きていけるって、すごく素敵なことなんだと思うなぁ。
「ちょっとだけ運動しようかな」が未来を守る
大げさなことをしなくてもいい。
1日1回、ちょっと歩くだけでもいい。
「やってみようかな」って思った日から、それがもうスタートなんだよ🌱
未来の自分が「ありがとう」って言ってくれるかもしれない。
あの日、走れなかったからこそ、気づけたことがたくさんある。
だからこそ、今日も無理せず、だけどちょっとだけ前へ。
さいごに:あなたの“気づき”は、宝物
もしあなたにも「思ったより走れなかった」「階段がつらい」「体が重く感じる」──そんな瞬間があったとしたら、それは“気づき”のチャンス。
体って、ちゃんと教えてくれるんだよね。
無理しないでって。動かしてって。見つめ直してって。
その気づきを、どうか大事にしてあげてね✨
そして、そんなあなたを、私は心から応援してるよ💚
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